世の男性の大好物といえば「から揚げ」です。
ご飯にもビールにも合う、最高の料理ですよね。
ところで「から揚げ」の「から」って何なのでしょう?
唐揚げって書くように、やっぱり中国から伝わってきたから「唐揚げ」なのでしょうか。
から揚げの歴史は古い
実はから揚げは「唐揚げ」と「空揚げ」の2種類の表記が昔からあります。
から揚げという言葉が登場した際、その定義は「衣をつけずに油で揚げること、またその料理」というものでした。
今でいうと「素揚げ」ということでしょうか。
揚げるという調理方法はすでに鎌倉時代からあったみたいです。
油自体は奈良時代に唐から伝わっていたみたいですが、唐菓子に使われる程度で、調理への使用は鎌倉時代になって広まったといいます。
主に精進料理として食べられていて、衣をつけて野菜を揚げていたそうです。
さらに安土桃山時代になると、今のから揚げのように小麦粉をまぶしてから揚げるという調理法がポルトガルから伝わります。
ただ江戸時代になって「天ぷら」という言葉はできたものの、「から揚げ」という言葉が広まっていくのはもう少し先になります。
唐揚げ?空揚げ?
では「唐揚げ」と「空揚げ」、いったいどちらが先に出てきたのでしょうか。
初めて文献でこの料理が紹介されたのは、1967年の『和漢精進料理抄』でのこと。
こちらでは「唐揚」の表記で登場していました。
ただその後1772年の『普茶料理抄』ではより詳細に料理のことが紹介されていたのですが、
小さく切った豆腐を油で揚げ、その酒と醤油で煮込んだもの
という、今の唐揚げとは少し違うイメージの料理となっています。
「空揚げ」の方が登場するのは明治時代になってから。
江戸時代に広まった「衣をつけずに揚げた料理」として国語辞典に掲載されるようになったのです。
1920年代ごろには「澱粉や小麦粉をまぶしてから揚げる料理」と、素揚げと区別されるようになりました。
新聞などでも「空揚げ」の表記が使われるようになります。
次第に「唐揚げ」が一般的に
ですが1932年ごろ、三笠会館(当時は「かき氷屋 三笠」)の支店で、中国の揚げ物料理からヒントを得た「若鳥の唐揚げ」がメニューとして提供され始めます。
これが日本のレストランで初めての唐揚げとなりました。
さらに戦後には大分県のほうで若鳥の唐揚げ専門店が続々と登場していき、唐揚げは一般的家庭にも広まっていきます。
この時も辞書や新聞では「空揚げ」の表記を使っていたのですが、お店などでは「唐揚げ」の表記が一般的になり、人気料理になるにつれて「唐揚げ」が全国に浸透していったのです。
今でも辞書には「唐揚げ」と「空揚げ」の両方が載っていますが、新聞で「空揚げ」の表記を見ることはほとんどなくなりました。
このように、から揚げには2つのルーツがありました。
から揚げそのものは中国から伝わったわけではなく、中国の料理を参考に日本で開発されたものだったのですね。
いまでは国民食レベルの人気なのも納得です。
あとがき
いまや国民食ともなったから揚げ。
そのルーツは中国でもあり、日本でもありました。
単純に「中国から伝わったから唐揚げ」というわけではなかったのですね。
から揚げには深い歴史があったのです。