寒い冬が続くと、冬将軍の到来という感じがしますよね。
毎年のことなのですが、厳しい寒さにちょっと気が滅入ってしまいます。
ところで、どうして寒波のことを冬将軍っていうのでしょうか?モデルになった人物がいるのでしょうか?
今回は冬将軍の疑問について調べてみました。
強い寒波を冬将軍という
日本の場合、冬将軍というとシベリア気団のことをいうみたいです。
シベリア気団は秋から冬にかけてシベリア方面にできる気団で、日本に乾燥した冷たい空気を吹き込んできます。
ではなぜこのシベリア気団が冬将軍と呼ばれているのかというと、話は1700年代~1800年代ごろまでさかのぼります。
この当時、日本はまだ江戸時代でしたね。
ですがこの言葉ができたのは日本ではなく海外での出来事がきっかけです。
しかもフランスのある人物がきっかけとなってできたといわれています。
将軍っていうくらいだから日本でできた言葉だと思っていたらそうじゃなかったんですね。
そしてそのフランスのある人物というのが、あのナポレオン・ボナパルトだといいます。
もう知らない人はいないくらいの有名人ですよね。
フランスの歴史的な革命家であり、圧倒的な統率力を誇る天才軍師でもあります。
彼が統率したフランス軍は無類の強さを誇り、一時期はヨーロッパ大陸のほとんどを支配下におさめたほど。
その戦績は記録に残っているだけでも38勝3敗、勝率9割以上という数字を残しています。
冬将軍とナポレオンの戦い
しかしながら、その3敗のうち1敗は冬将軍に負けたものだといわれています。
1812年6月、ナポレオン率いるフランス軍はロシア遠征をおこないます。
しかしロシア軍の作戦や、モスクワを焼き払うという大胆な行動に翻弄され、進行から3カ月たって戦況は不利に。
10月にナポレオンは退却することを決意するのですが、道中で食糧補給が困難となってしまい、兵士だけでなく馬の維持も難しくなってしまいます。
そのため徒歩でフランスに戻ることを余儀なくされたのですが、11月に入ると寒さも厳しくなってきて、凍傷になってしまう兵士も続出。
飢えと寒さのダブルパンチは、フランス軍に大ダメージを与えたようです。
結局フランス軍は大敗、ナポレオンも徐々に失脚してしまいます。
そしてこの様子をイギリスの風刺画家が「GENERAL FROST Shaving Little BONEY」と表現。
この言葉が日本に伝わってくるにあたって「冬将軍」と訳されるようになったのです。
なので冬将軍=ナポレオンというわけではなく、単なる比喩表現という訳ですね。
ちなみにこの冬将軍は1914年のシベリア出兵の際には日本軍に牙をむき、第二次世界大戦でもヒトラー率いるドイツ軍に大ダメージを与えたといいます。
今の私たちが冬将軍に勝てないのも、ある意味当然なのかもしれません。
あとがき
数百年にもわたって私たちを苦しめる冬将軍。
あまりにも強すぎて倒すことは不可能なので、おとなしく厚着をして対抗するしかなさそうです。
冬将軍が去って春が来るまで、何とか耐え忍びましょう!