お寿司の数え方は1貫、2貫。これは常識ですよね。

 

ですが2個セットで提供されることが多いお寿司は、1つずつで1貫と数えたり、2つで1貫と数えたり、人によってバラバラなのです。

 

いったいどっちが正しい数え方なのか、その謎に迫ります。

 

お寿司の歴史

皆さんがよく知るお寿司は、江戸前寿司と呼ばれるものです。

 

それ以前からお寿司は日本にも存在していたのですが、「なれずし」と呼ばれる酢飯と魚を発酵させて作るものが主流でした。

 

もともとは東南アジアの山間部にすむ民族が、貴重な魚を保存するために考案したものですが、それが中国を経由して奈良時代ごろには日本にも伝わっていたそうです。

 

 

しかし江戸時代になると、今のような握りずしが広まっていきます

 

江戸近郊では天然の漁場が多数あり、新鮮な魚介類を新鮮なうちに食すために、握りずしが出来上がりました。

 

なので握りずしは江戸にしかなかったものなのですね。

 

 

明治時代になり、1923年に関東大震災が発生。

 

東京の街は大打撃を受け、江戸前寿司も壊滅寸前でした。

 

何とか生き延びたすし職人たちは、東京から離れ全国へと散らばります

 

そしてその土地で江戸前寿司が広がり、今のように「寿司といえば江戸前寿司」という文化になっていったのです。

 

お寿司の数え方はどうして貫になった?

ではどうして寿司は1貫2貫と数えられるようになったのか。

 

こちらは諸説あって、有力なのは

 

海苔巻きを1巻と数えていたことから、握りずしも貫と数えるようになった説

重さの単位「貫」から転じた

 

という説の2つです。

 

海苔巻きについてはわかるのですが、重さの単位である「貫」はイマイチ馴染みがないかもしれません。

 

貫というのは尺貫法」における質量の単位です。

 

「尺」の方が長さを表し、「貫」の方が重さを表しているのですね。

 

今ではほとんど使われることはありませんが、明治時代には1貫=3.75キロと定義づけられてました。

 

 

さらに江戸時代までは通貨の単位としても使われていたといいます。

 

1文銭の重さを1匁(もんめ)として、1000匁=1貫とされていたのです。

 

もともと古代中国から、銭の真ん中に空いている穴にひもを通して、大量のお金をまとめるという文化はありました。

 

その文化は日本にも伝わり、江戸時代までは実際にそういった形式でお金がまとめられていたそうです。

 

 

そして1文銭を1000枚まとめたものが、1貫として扱われていました。

 

1文銭1000枚の重さは3.737kgほどになります。

 

それが明治時代になって3.75kgと統一されるわけなのです。

 

ただ実際は1文銭が96枚で100文として扱われていたそうなので、実際の1貫の重さは

 

1貫≒960匁≒3.6kg

 

くらいだったそうですが。

 

 

ではどうしてそこからお寿司の数え方に結び付くのでしょうか。

 

江戸時代のお寿司は、1つ当たりの大きさが今の倍以上ありました。

 

 

今のお寿司はだいたい20g前後ですが、江戸時代のお寿司は40gも重量があったそうです。

 

忙しい江戸っ子は、2つほどお寿司をつまんで小腹を満たしたら、もうおあいそを済ませて仕事に戻っていたんだとか。

 

ですがたいていの場合は、1人前で9つのお寿司がセットになっていたそうです。

 

40g前後のお寿司が9つとなると、その重さは360g前後になりますよね。

 

つまりちょうど100文とおなじくらいの量なのですが、江戸時代にはこれで景気よく1貫揃いと呼んでいたのです。

 

そこからお寿司のことを貫という単位で数えるようになり、さらにそれが変化してお寿司1つで1貫と呼ぶようになりました。

 

2つで1貫と呼ぶ風習はどこから?

このように、江戸時代にはお寿司1つ1つを1貫と数える風習ができていました。

 

でもこれだとまた別の疑問がわいてきますよね?

 

どこからお寿司を2つで1貫と呼ぶ風習も出来上がったのでしょうか?

 

この違いは、明治から昭和にかけて、お寿司の提供方法に変化があったことポイントになります。

 

 

江戸から明治に変わっていくにつれて、すしの大きさは徐々に小さくなっていきました

 

これは食べやすさを重視したことや、ネタにできる魚介が増えてきたことなどが影響しています。

 

 

その後、第二次世界大戦などもあって寿司屋は全国的に営業が停止していたのですが、委託加工業者として何とか復活。

 

この当時は1合の米を握りずし10個と交換するという、厳しい統制の中でもなんとか生き残っていきました。

 

この時はまた江戸時代のような1つ当たりが大きい寿司が提供されていたようです。

 

つまりお寿司1つ=1貫のままでした。

 

高度経済成長が始まるころには回転寿司が普及。徐々に庶民性を取り戻していき、再び食べやすいような大きさになっていきます。

 

このとき、もともとは1つ分だった分量を2つに分けて提供し始めるようになり2つで1貫と数える風習が出来上がっていきました

 

 

こうして、昭和から平成にかけてはお寿司は2つで1貫が当たり前でした。

 

ですがここからまた回転ずしが普及していくにつれて、お寿司1つ=1貫と数え始めるようになります。

 

やっぱり1皿1貫と表記するよりも、1皿2貫と言われた方がお得感がありますからね。

 

そういった広告的な面もあって、いまではお寿司1つ=1貫と数える方が主流になってきています。

 

江戸時代に比べて大きさは半分くらいになったのに、数え方だけ元に戻っちゃったんですね。

 

あとがき

歴史の中で徐々に変化していった江戸前寿司。

 

その数え方も、歴史の中で変化していったのですね。

 

今では私たちの身近な存在であり、日本を代表する料理としても知られますが、その背景には深い歴史が刻まれていました。