占いや性格分類でもおなじみとなった血液型。
皆さんの会話の中にもよく出てくるかと思います。
ですがA型・B型・O型・AB型ってどうやって分類されているのでしょうか。
調べてみると、血液型の分類はかなり最近のことだったみたいです。
4つの血液型の分類方法
血液型はA型・B型・O型・AB型の4つに分類されていることはもはや常識ですよね。
この4つの型は、赤血球表面にある抗体によって分けられているそうです。
A抗原があるものはA型
B抗原があるものはB型
どちらの抗原もないものはO型
両方の抗原をもつのがAB型
となります。
この血液型の分類は、1900年代に入ってからようやくできたものみたいです。
そもそも血液型が発見されるまでに、かなりの時間を要したんだとか。
血液型が発見されるまで
血液型という概念ができたのは1900年代なのですが、そのきっかけとなったのは「ヒトからヒトへの輸血」です。
もともと輸血をすることで大量出血した人を救えるのではないかという発想自体はありました。
しかし「ヒトからヒトへの輸血」は不可能だというのが当時の認識だったようで、、、
1660年ごろにはフランスでいくつかの輸血例もあったのですが、いずれもヒトの体に対して別の動物の血を輸血していました。
当然良好な結果が出ることはなく、特にうち1人が強烈な副作用に襲われたということもあって、以後150年以上は実験すらも行われることはなかったそうです。
ですが1820年ごろ、ロンドンの産婦人科医ジェームズ・ブランデルが「輸血によってもっと多くの人の命が救えるのではないか」という思いを抱きます。
出産時に出血多量で母親が命を落としてしまうケースが非常に多く、当時多くの医師たちの頭を悩ませていました。
そんなある日、再び出血多量の患者に直面した彼は、独自に制作した輸血器を使い輸血を行います。
するとその患者は直後に良好な状態を見せたのです。
残念ながら2日後にはまた容体が一変してしまったのですが、この1件によりブランデルは「ヒトへ輸血するのならヒトの血液を使うべき」と確信。
その後も10人ほどの患者に輸血を行い、4人の患者の命を救うことができました。
まだまだ確率は低いものでしたが、徐々に人の命が救える可能性が見えてきたのです。
1900年になってようやく確立
そしてそこから血液型を理論を確立させるのが、オーストリアの医学者カール・ラントシュタイナーです。
彼はヒトから採取した血液を混ぜ合わせると、凝固するときと凝固しないときがあることに注目しました。
他の医者は採取したヒトの健康状態が悪かっただけといって気に留めていなかったのですが、ラントシュタイナーは何か法則性があるのではないかと研究を続けます。
彼は同じ研究所のメンバーの血液を採取し、それらを赤血球と血漿に分けてそれらを混ぜ合わせる実験を行いました。
すると、特定の組み合わせだけ何度混ぜ合わせても血液凝固が起こらないことに気が付いたのです。
そしてラントシュタイナーは血液のタイプをA型・B型・C型の3つに分類します。
これが今のA型・B型・O型となるわけですね。
ちなみに学会でこの3つの型が発表されたのが1901年のことなのですが、翌年には第4の型としてAB型も発見されました。
というわけでここでようやく4つの血液型が確立されたのです。
ちなみに最初に発見されたA・B・Cの型のうちCだけがO型になったのは、ドイツ語で”~ない“という意味を持つ「ohne」の頭文字からきているのではないかといわれています。
O型はA抗体もB抗体も持っていませんから、この言葉が充てられたのでしょう。
世紀の大発見だった血液型
この血液型の発見は、医学界にとっては大きな進歩となりました。
1914年にはまた別のグループがクエン酸ナトリウムが血液凝固剤として利用できることを発見し、血液の保存が可能に。
さらに1937年にはシカゴに血液銀行が設置され、大量の血液の保存も可能となりました。
これらの進歩によって多くの人の命が救われたことは言うまでもありませんよね。
血液型が発見されるまではとても長い時間を要したのですが、発見されてからは十数年間で驚くべき程にまで発展していったのです。
いまや性格分類や占いのネタとしても使われるほど身近になった血液型ですが、実は世紀の大発見だったのですね。
あとがき
私たちが普段身近に使っている血液型という分類。
実はこれによって医学界には大きな発展がもたらされるほどの大発見でした。
血液型が発見されなければ、今の私たちの生活もないかもしれないと考えると、本当にすごいことなのですね。