皆さんの食卓にも、こんにゃくが並ぶことは多いと思います。
味はほとんどないですが、食感は独特で、食べ応えは十分。
加えて低カロリーということもあって、ダイエット食としても注目されていたりしますね。
しかし、長い歴史を持ち、これだけ一般家庭に普及しているにも関わらず、実は謎の多い食材だったりします。
こんにゃく芋から作られるこんにゃく
こんにゃくはご存知の通り、こんにゃく芋を原料として製造された食品です。
正確に言えば植物の方も「こんにゃく」が正式名称であり、その根(地下茎)の部分がこんにゃく芋と呼ばれています。
植物のこんにゃくはなかなか奇妙な見た目をしていて、花の中からさらに茎が生えているのが特徴です。
しかも地下にも茎があって、トータルの高さは2mになるとも。
美しいというよりは、なんだかおどろおどろしい雰囲気を持っています。
しかも開花すると結構なニオイを放つらしく、ヨーロッパでは「悪魔の舌」なんて呼ばれ方をしているんだとか。
さて食品のこんにゃくになるのは、地下茎のほうです。
ちなみにこの部分を生で食べると、毒があって大変危険です。
この部分に含まれるシュウ酸カルシウムは、日本では劇物に指定されているほどの毒ですから。
ちょっと口に含めば強い苦みと痛みが生じ、手に触れればかゆみ・かぶれの原因となってしまうこともあります。
なのでこんにゃくを作る際は、まず地下茎の皮をむき、それをすりつぶし、ペースト状になったところに凝固剤(水酸化カルシウム水溶液)を混ぜ合わせていきます。
そしてそのこんにゃくをお湯でゆでて完成。毒はこの時になってようやく抜けていくので、作業中は手袋を忘れずにつけるようにしましょう。
こんにゃくの歴史は古い
こんにゃくの歴史には諸説ありますが、飛鳥時代にはもう日本へと伝わっていたといわれています。
食材として使われるようになったのは鎌倉時代のこと。
主に精進料理として使われていて、一般庶民に普及とまではいかなかったみたいです。
また水酸化カルシウム水溶液なんて知られていたはずもありませんので、凝固剤には植物の灰を水に溶かしたものなどが使われていたといいます。
一般庶民に広まっていくのは江戸時代になるといいます。
ですが江戸時代は、こんにゃく革命が起こった時代と言っても過言ではないでしょう。
というのも、中島藤右衛門という人物が、こんにゃく芋を乾燥させて粉状にすることに成功したのです。
実はこんにゃく芋は腐敗してしまうまでが早かったため、こんにゃくは秋にしか食べられませんでした。
ですが粉状にすることで保存力がアップ!
しかもその粉を水に溶かしてペースト状にして、凝固剤を混ぜてゆでるだけと、手間も少なくなりました。
輸送も簡単になり、こんにゃくは一気に庶民へと広がっていきます。
ただしこの方法で作ったこんにゃくは真っ白だったため、こんにゃくらしくないと当初は不評だったそうです。
そこで着色のためにひじきの粉末なんかを混ぜて、あえてグレーの色合いを出すというのも当時から行われていました。
どうして固まるかいまだに判明していない
ですがこの長い歴史をもつこんにゃくにも、いまだに謎が残されています。
それは「どうしてこんにゃくが固まるのか」という点です。
どうしてこんにゃく芋と凝固剤を混ぜ合わせるとゲル状になるかは、いまだに解明されていません。
いまのところ有力な説としては「水素結合」があります。
こんにゃく芋の主成分はグルコマンナンであり、このグルコマンナンはグルコースとマンノースが交互につながった多糖類です。
そしてこのグルコマンナンにアルカリ性の凝固剤を混ぜると、分子同士が結合してゲル状になるといいます。
ですがこの水素結合には、アセチル基が大きく関わっています。
アセチル基はアルカリ性に弱く、アルカリ性と混ぜ合わせるほどその力は失われ、グルコマンナンの水酸基が露出して水素結合が行われるのです。
アセチル基が多いほど、水素結合も強くなり、よりしっかりと固まります。
ですがグルコマンナンに含まれるアセチル基の数は、非常に少ないのです。
この量だと、固まったとしてもフニャフニャになるかドロドロになり、お湯につけると溶けてしまうのが普通です。
ですが実際のこんにゃくはしっかりと固まっていますし、お湯でゆででさらに固めていますよね。
これがいまだに謎なのです。
さらに言えば、こんにゃくが体内で消化されない原理も、よくわかっていないといいます。
これだけ食べられている食材なのに、まだまだ謎が残されているとは。
おそるべし、こんにゃく。
あとがき
これほど身近な食品であるのに、まだまだ謎が残されているこんにゃく。
しかも飛鳥時代からあるというのに、不思議なものです。
今後もこんにゃくは食卓の主戦力として活躍してもらうと思いますが、その謎もかみしめながら味わおうと思います。