皆さんも普段から豆腐をお召し上がりになるかと思います。
ですが豆腐のルーツには意外と謎が多いということをご存知でしたか?
歴史の中で姿かたちを変えながら、多くの人に食されてきた豆腐。
今回はそんな豆腐の謎を紹介していきます。
世界でも広く親しまれる豆腐
豆腐といえば、もう皆さんの食卓ではおなじみの存在ですよね。
そのまま醤油をかけて食べてもよし、煮込んでも焼いてもよし、ちょっと手を加えれば豆腐ハンバーグなんてものも作れます。
大豆の応用力って本当にすごいですよね。
海外でもTofuという単語があるほど、広く親しまれた食材です。
それでいて原料は大豆とにがりだけという、シンプルなつくり。
水に浸しておいた大豆を煮詰めていき、それを絞ると豆乳とおからに分かれます。
そしてその豆乳ににがりを混ぜ合わせると、豆腐が完成します。
ですが豆乳の濃さ(水の多さ)やにがりを混ぜる温度を間違えると、あまり上手に固まらなかったりするので、
そこは職人の腕の見せ所というわけですね。
いったい誰が豆腐を開発したのか!?
しかしこれだけ親しまれた食材ながら、実はそのルーツには意外と謎が多かったりします。
まず豆腐が登場した時期。
豆腐の登場は紀元前2世紀ごろ説と、8~9世紀ごろ説の2つがあります。
紀元前の説では、豆腐を開発したのは学者であり数多くの逸話を残した劉安であるとされていますね。
しかしながら劉安が活躍した時代の中国にはそもそも大豆が存在しないという指摘もあります。
一方で8~9世紀ごろ説の根拠は何なのか。
これは10世紀ごろに編纂された文献に初めて「豆腐」という記述があったからですね。
それ以前、例えば6世紀ごろの文献になると、醤油などの文字はあれど豆腐の文字は存在していませんでした。
となると、8~9世紀に豆腐ができたと考えるのが自然なのですが、
では誰が豆腐を最初に固めたのか、そして何を使って固めたのか。
中国では豆腐の凝固剤はにがりよりも石膏が一般的でした。
他にはハイノキやホオズキのしぼり汁も使われていたんだとか。
ただしぼり汁はともかく、石膏を混ぜようという発想に至ったのがすごい。
石膏は主成分こそ硫酸カルシウムですが、見た目は完全に鉱石ですから。
粉末になっていたのがたまたま豆乳に入ってしまったのでしょうか。
加熱して粉末になった石膏は水と混ぜ合わせると固まることも知られていましたから、その要領で混ぜちゃったのでしょうか。
かなり革命的なことであるにも関わらず、その経緯や発見した人物は分からないままです。
にがりが使われるようになった経緯も謎!
ちなみに豆腐が日本に伝わってきた時期も諸説あります。
唐の時代に遣唐使(特にその一員であった空海)によってもたらされた説や、鎌倉時代の帰化僧によってもたらされた説など。
ただ室町時代から江戸時代にかけて一般市民に広まっていったというのは確かなことのようです。
江戸時代には複数の豆腐店があったり、行商人がいたともいわれていますね。
ですがにがりが使われた豆腐が登場した時期は、よくわかっていません。
にがりは製塩時の副産物として発見されました。
海水を天日干しすることによって得た塩を藁の入れ物にいれて運んでいると、
苦みの強い液体が染み出ていることに気がついたのがきっかけだったそうです。
にがりを使った豆腐は柔らかく、大豆の甘みもしっかりと引き出されており、より品質の高い豆腐の生産が可能になりました。
そのため、にがりの需要はどんどん増加し、江戸時代にはにがりを生産するノウハウも確立されていたという話もあります。
ですが、いつからにがりが豆腐の凝固剤として使われるようになったかは、やっぱり不明です。
誰が・どういった経緯で、という点もわかりません。
あれだけの苦みがありますから、豆乳に入れてみようなんて考えつきませんよね。
これだけ広く親しまれた食品でも、そのルーツは謎に包まれていました。
あとがき
私も普段からよく豆腐を食べていますが、だれが最初に豆乳とにがりを混ぜたのかはずっと気になっていました。
結局調べても分からなかったどころか、さらに謎は深まるばかり。
これだけの革命的な食品なのに、偉大な人物の名が残されていないとは…
感謝を込めるべき相手はいったいどこにいるのでしょうか。